1906〜1948:第二鹿児島中学校

二甲の歩み

1906年(明治39年)鹿児島県立第二鹿児島中学校(二中)として独立

鹿児島中学校分校から「鹿児島県立第二鹿児島中学校」として改称。
5月13日に創立記念式典が挙行され、二中創立記念日と定められました。
この年を鹿児島二中、ひいては甲南高校創立の基準年としています。

1908年(明治41年)第1回卒業式

39人が二中最初の卒業生となりました。

二中第一回卒業生(1908年・明治41年度)

1909年(明治42年)成徳寮竣工

460坪・定員144人の寄宿舎が3棟竣工しました。

二中校舎(1910年・明治43年度)
二中離任式(1911年・明治44年度)

1921年(大正10年)10マイルマラソン開始

学友会誌第1号発行。

天保山に10哩(マイル)マラソンが開始しました。

1928年(昭和3年)新校舎建設に着手

父兄後援会結成、新校舎建設に着手しました。

1930年(昭和5年)二中校舎本館内部工事完了

新校舎本館内部の工事が完了し、新校舎へ移転しました。

野球部が甲子園大会に出場しました。

1932年(昭和7年)寄宿舎・講堂竣工

12月1日に寄宿舎・講堂竣工し、全校舎改築落成式を挙行しました。

12月2日に創立25周年記念式典を開催。古賀前校長胸像除幕式を挙行しました。

在京二中会が始まりました。

1941年(昭和16年)忠魂碑竣工式挙行

忠魂碑竣工式を挙行しました。現在の「追思の碑」になります。

1945年(昭和20年)伊敷の連隊跡に一時移転

4・5年生は愛知県半田市に、3年生は小倉市に、勤労動員。

8月6日、第空将により武道場、雨天体操場、銃器庫焼失。

太平洋戦争後、二中校舎は米軍兵舎として接収され、学校は伊敷の連隊跡に移転しました。

1946年(昭和21年)現在地へ復帰

10月30日、伊敷から現在地へ復帰しました。

1948年(昭和23年)学制改革

学制改革により鹿児島県鹿児島高等学校第四部となりました。